生活在新加坡

シンガポール在住。会社員です。日々思った事を綴ります。毎月1日+気が向いたら更新予定です。(最近は1、10、20日に更新しています)

駐在と現採の深い溝

初対面のかなり早いタイミングで駐在か現採かと聞くのは失礼というのは、海外で暮らす日本人コミュニティの中ではわりとセンシティブな話題と認識されているものの一つじゃないでしょうか。


あまり相手のことを知らないうちから懐事情を聞くような質問は失礼だと思うし、それを聞いてどうするんだという気もします。懐事情と書いたのは、駐在と現地採用では給与や手当が大きく違うことが多く、それを聞くだけで家計の状況を察してしまうような質問だからです。


私だったら、初対面の人にはどうしてここに来たのか、何をしているのか、その人の人となりにフォーカスして質問するだろうと思います。その流れで自分から駐在だ現地採用だという話が出たらいいけど、最初から聞くような質問ではないと思います。


実際に駐在なのか現地採用なのかを含めて深く自己開示できた方が会話が深まるわけだけど、シンガポールにたまたま居合わせた日本人というだけで友達になれるわけではないので、開示する範囲は相手によるというのは世界中どこにいても変わりません。


相手の暮らしぶりを探るような質問はよほど仲が良くなってから自然に知って行くのがいいだろうし、一緒に行動しているうちに自然に知れてくるとも思います。


駐在であろうと現地採用であろうと、現地で永住組として暮らしているものにとってはどっちもどっちで、いっときのシンガポール生活をエンジョイして下さい、という感想しかありません。


お金持ちの駐在と手当の少ない現採、さらに貧相なローカル、みたいなステレオタイプの世界観しか持っていない人たちの内輪の見栄はりゲームのようにも思えます。


駐在でコンドミニアムに住んでいるから金持ちだと思っている人も、コンドのオーナーはシンガポリアンで、毎月の家賃はオーナーのローンを肩代わりして払っているに過ぎず、駐在員らしい生活をエンジョイして貯金が出来ない人もいます。現採でも現地のシステムを調べ尽くし永住権をとってHDBを購入し、帰国する時に売り払って一財産こしらえる人もいます。日系以外の企業の現採は駐在よりよほど良い給料もらっている人もいます。


人生の幸せは人それぞれだけど、人と比べているうちはいつまで経っても幸せを感じられない。そう思います。

村上さん

村上世彰さんの対談を読んでふと思い出した。
そうだ村上さんはシンガポールに住んでいるんだった。小さい国ですが、流石に道端でばったり会うことはないです。村上さんの住んでいるであろうお家の前はよく行き来しますが。

 

それで村上さんについていろいろ調べていたら、村上さんのご両親は台湾とインド出身だとか、絢さんというスイスのボーディングスクールで勉強された聡明な娘さんがいらっしゃるとか、チャリティプラットフォームや村上財団を立ち上げたとかいろいろ興味深い話が出てきました。

 

チャリティプラットフォームは寄付したい人と寄付が欲しい人をつなぐプラットフォーム。収支計算書を見ていて、漠然としていたチャリティ基金を作りたいというアイデアがちょっと具体的になっりました。

 

何をしたいか、というのも大事だけど、どのくらいのお金があればどのくらいの規模の支援が出来て継続性があるのか。その辺が知りたいなぁと思いました。

 

実際の立ち上げまでにはまだ時間がかかるので、今出来る事は同じ規模でチャリティを運営している人たちになるべくあって話を聞いて見たい。こちらから与えられるものは無いのであってもらえるかわからないけど、今のうちから人の話を聞いておくのはいい事だと思いました。

結局は質素な暮らし

夫婦共働きで資産運用し、チャリティー基金を設立。収入はほとんど投資に回しているので、普段は質素な生活を送っていると書きました。

 

社会人になって自分で使えるお金が増えてプチセレブごっこをやった結果、やっぱり生まれは庶民。落ち着くのは普通の生活だったというのも事実。

 

新婚当時は、夫と二人特典の付いた年会費の高いクレジットカードを使って、会員制のクラブやレストランに行ったりしていたけど、子供が生まれてからはfine diningに行く機会もほとんど無くなり年会費は掛け捨て状態。


以前は何度か食事に行き、旅行に行けば十分に元が取れていたものを、今はお得だと思えなくなり、子供が生まれて我が家の財務計画を見直した際に長年キープしていた特別なクレジットカードは解約しました。

 

子供が生まれてという理由だけでなく、寄る年波には勝てず、凝った料理よりも素材を生かしたあっさりした物を好むようになったというのもあります。そして、たくさん食べるより、少しだけ美味しい物が食べたい。

 

子供と出かける手間、あっさりした物が食べたい、と条件を掛け合わせると、家で簡単なサラダとお肉・魚の食事を摂るのが一番満足度が高くなって来たのです。

 

以前は外食は圧倒的に夜・深夜だったのが、今は仕事前にホテルの朝食ビュッフェに行くのが、値段も手頃、サラダもたくさん食べられてより幸せを感じます。
ランチデートも子供の預け先を気にしなくて良いので職場の近い主人と時々出かけますが、夜行くのは躊躇うような高級レストランでもランチの値段はお財布に優しく気軽に非日常が楽しめる。

 

この非日常というのが大事で、しょっちゅう行っていると有り難みが薄れるので、日頃は前日の残り物を詰めて朝食のお弁当にしたり、昼はジムに行って運動後に軽いものを食べたり節制。そうすると時々行く外食がより楽しめるし励みにもなります。

 

後は自分が会いたい人や自分の興味のある分野で頑張っている人とはなるべく会うようにしているのと、その時の食事はご馳走するようにして、自分の心にご褒美をあげています。

シンガポールのセイフティーネット

資産をチャリティー基金で運用すると前回書きました。

 

これまでシンガポールはパワーカップルが生まれやすい、夫婦で手を取り合って収入を最大化、と言ってきましたが、ではパワーカップルではなくウィークカップル(そんな言葉あるのか?)はどうなるのでしょうか?同じ者同士が結婚しやすいという事は、身体や精神・経済的に不自由な人も同じ境遇の人とくっつきやすいという事でもあるはずです。

 

シンガポールは都市国家として繁栄を維持するため、高福祉社会にはならないと明言しています。家族でのサポートを強化したり安価な住宅の提供によってホームレスをゼロにするという、家族や共同体に福祉の一端を担わせるような方針です。

 

実際は精神疾患や家族内の問題で家に居られず、住む場所が与えられていても野宿する人は一定の割合でいます。

 

シンガポールで下層に位置する生活の人は相当厳しいと思います。そしてその家族、親戚みんな貧しい可能性が高いし、必要最低限の暮らしが守られる日本のようなセイフティネットはありません。

 

チャリティー基金について調べてみると、年間数十億円の収入がある大規模なものから、設立資金数千万円の小さいものまで様々。火事に柄杓で水をかける程度に効果しか無いのかもしれないけど、そういったチャリティー団体が最底辺の暮らしの人を支えているような状況です。

 

そういう状況を俯瞰してみると、上層のお金を稼ぐパワーがある人たちの一部が、個人的に基金を設立し税を介さずに運用利益を直接最下層へと届ける。そういうシステムが出来上がっています。


日本も多分そう。上流の一部の人はそうかもしれないけど、中の上で突き抜けてそこまでやれる人の数はすごく少ないように思います。せいぜい買い物や食事で散財してtrickle-down効果だと言うくらいのものでしょうか。
あるいは日本は税を回収して富の分配を社会保証として政府主体でやっているので、国民の当事者意識が低いのか。

 

なので日本で力がある人は是非社会を変えるほど成金になりきって欲しいです。お金を稼ぐことに罪悪感を覚えず、むしろ大体の事はお金で解決出来るのだから、力のある人が効率よくどんどん稼ぐべきだと思います。スキルの無い人が、身を粉にして健康を損なうほど働いて手にするお金を、その何分の一かの労力で得られるのであれば。そしてその利益を買い物や食事の支払いだけでなく社会に直接還元する。
贅沢をするだけであれば常にお金を持つ事には罪悪感がつきまといます。

その道を選ばないのなら、みんな揃って貧しくなるしかないのかなと思います。

 

それぞれの生きる目的

資産が増えている割には、欲もなく質素な生活をしていると以前書きました。

 

三世代先まで転がす予定の資産の雪玉でチャリティー基金を設立して、用途を福祉に限定することにしました。

 

家は三代で潰れると言われています。中産階級出身の主人と私が出会って結婚し、ゼロから資産形成して一代で財を成したとしても、子供の世代、孫の世代で私たちがやったと同じポテンシャルで時代に合った運用が出来るか分かりません。また資産をそのまま子供に相続させると子供のためにも良くないと言われています。

 

なので築き上げたものはチャリティー基金を設立して、用途を福祉に限定し、複数のtrusteeを介入させる事で、より継続的に資金運用をし、その利益を社会に還元するという仕組みを残します。基金設立にはお金もかかりますが、税制の優遇もあるので政府の決められた方法で登録する予定です。シンガポールは相続税は無いので、相続のために基金設立する必要は無く、私たちの場合は資産の保護と使用の限定の意味合いが強いです。

 

このように決めてからますます迷いが無くなりました。働いて得たものが蓄財されて、それがさらに大きな利益を生み出し社会に還元される。それが動き出す始めのエンジンの役割をしているのだと自分の人生についても肯定的に捉える事が出来るようになりました。

 

そして日本人の中にいると特に感じやすい、夫が稼いでいるのに妻も働くのかという守銭奴扱いに気持ちが沈む事もありましたが、基金設立するとなると、稼ぐポテンシャルがある人はどんどん稼いで、自分のために贅沢をするプチ成金ではなく社会を変える小さな一歩を踏み出せる爆成金を目指すべきと思うようにもなりました。


日本では世帯収入がこれくらいあれば一人は働かなくていいじゃないという足の引っ張り合いがすごくあります。その結果単なる贅沢な生活を超える突き抜けた例が生まれにくくなってるんだと思います。なので高収入の人の生活は、食べ歩きと旅行、贅沢品の購入止まりになってしまっていてそれこそもったいないと思います。

キラキラ女子続き

高収入男子にキラキラ専業主婦志向の女子が群がる構造を、同職場の非モテ高収入女子が苦々しく見ているという話を前回書きました。


でもこの話同じステイタスでも男子はモテて女子はモテないみたいな、僻みで終わっていいのかな?と考え続けていました。


生物として生存環境に最適化したものだけが生き残るのがこの世だとすると、乱暴に言ってしまえば、男性は”高収入“である事、女性は”美しい“事が勝ち組の条件であるとも言えます(ただし今の時代の日本という国に限る)。ですから、男性はより収入の高い仕事を目指し、女性はより美しく着飾る、というのは生存戦略として全く間違っていないのです。


ですから、女性なのに高収入の職を得て、外見を飾る事にそこまで心血を注がない人は既に生存競争のメインストリームからは外れたところで戦っていると自覚したほうがいいし、男性は低収入である時点で、パートナーが見つけにくいハンデを背負っていると自覚した方が良いのです。


一方シンガポールでは、男性も女性もモテの王道は”経済的に自立しているか“という気がします。そして自分と経済的・社会的ステイタスの釣り合った人同士が結婚している。高収入男子に、モデルのようなトロフィーワイフってこちらではほとんど見かけません。


日本のような構造の良いところは、例え社会的階層が低くても見た目が美しければお金持ちの男性と結婚出来る可能性があり、階級間の移動や平均化が可能です。

 

シンガポールだと、生育環境がどうであっても能力があり高収入の仕事を手に入れると上に登って行くことが出来、これについては経済的条件によらず良い教育が受けられるよう公立の学校で積極的に支援されています。とは言え親の経済力が子供の教育レベルに影響する面は否定できません。


どちらの方が幸せなんでしょうか?


男性の立場からすると、どちらの国でも収入が多い程有利な立場という以外選択肢がありません。

 

女性の立場からすると、日本では生まれ持った美しさを有利に使いこなして生きるのか、化粧や美容で少しでも美しく見せる事に努力を注ぐのか。見た目が就職に影響するとしたらそれこそ美しいかどうかは命のかかった問題という事になります。シンガポールでは男女関係なく、いかに生活力上げていくか努力する。

どちらの方が救われる人が多いのでしょう?


日本では結婚相手については高収入男子の一人勝ち。シンガポールでは同収入同士が結婚する事が多いので、低収入の人も低収入も相手と結婚し、全体としては格差が開くかもしれませんが、生まれつきの変えられない条件に縛られて、努力した事も評価されないという事が日本の環境よりも少ないと思います。

キラキラ女子

都内の某企業で働いていた時の事です。専門職だったので割と男女の差は無く高給をもらっていました。女性は結婚相手どころか恋人さえ見つからない砂漠化が進んでいる一方、同僚の男性はちやほやともてはやされ飛ぶように売れて(結婚して)いました。


男性が結婚して行く相手は、男性の給料を見越してもう働かなくていいと思うのか結婚と同時に仕事を辞めて専業主婦に落ち着く人ばかり。

 

その時にびっくりしたのは、彼女たちのきらびやかさ。髪はたて巻き、バッチリメーク、服装も手を抜かず、高級バッグを持ち歩いて、住む場所から買い物までワンランク上を志向しているような人が多いのです。


自由に一人暮らしを楽しみつつ将来のために貯金していると、高給を貰っていてもそんなに贅沢は出来ないと体感します。それが一人扶養者が増えその人が湯水のようにお金を使う人のだったら、と考えるとゾッとししました。社会人になったばかりの時は、男性はモテていいなぁと指をくわえて見ていたのだけど、自分が30代になる頃にはそんな男性陣が次から次にお金目当て(のように見える)うら若く着飾った専業主婦志向の女性と結婚して行くのを見て「ご愁傷様です」という気持ちになってきました。


晩婚気味の同僚女性たちは、「結婚しても世帯年収1千万円ではどうやって暮らしていったら良いのか分からない」と自分の生活レベルを維持するためにも仕事を継続する人が多かったです。つまり高所得の女性は一人で年に1千万円のお金が自由になるのに比べ、所帯を持った男性はパートナー働いていなければ同じ金額で妻子を養うことになるのです。

 

ここですでに専業主婦家庭と共働き家庭で大きな差が開く事になります。


それでも専業主婦に収まった彼女たちのキラキラ具合は止まらない。子供が生まれたらお受験に私立校。夫の一本大黒柱は金の切れ目が縁の切れ目とばかりに稼ぎ続ける。同じ働いていても、一人で稼ぐのと二人で稼ぐのとではプレッシャーが相当違うのでは。


ただそういう男性は高給取りでモテている自負もあるので、稼げるという事がある種のアイデンティティや自信になっているみたいで、あまり吸い取られる事に頓着せず猛烈に働いては散財する人が多かったようにも思います。


40代50代に差し掛かってくると、結婚しても働き続けている私に対して「共働きが最強だなぁ」などとと言ってくる元同僚もいますが、同時に未婚の同年代の女性を見下す発言をしたり、未婚既婚に関わらず女性に対し外見が劣化して来ただの、女性が社会に出て普通に働いているだけなのに頑張りすぎてるやら何やらと言葉の隅々に毒を挟んでくる事も多いです。

 

そういう人は表面的には「共働きが羨ましい」と言いつつ、多分生まれ変わっても自分と対等に職を持つ女性を結婚相手には選ばないんだろうなぁと思ったりもします。


日本は女性が結婚してから仕事を続けにくい社会なので、必然的に高給を貰う男性を惹きつけるため、自分の女性的魅力を最大限に発揮した女性が理想の相手とマッチングするべくキラキラした人が高収入男性に群がるのは仕方ないのかもしれません。そしてそれを望んでいる男性も多い。