それぞれの生きる目的
資産が増えている割には、欲もなく質素な生活をしていると以前書きました。
三世代先まで転がす予定の資産の雪玉でチャリティー基金を設立して、用途を福祉に限定することにしました。
家は三代で潰れると言われています。中産階級出身の主人と私が出会って結婚し、ゼロから資産形成して一代で財を成したとしても、子供の世代、孫の世代で私たちがやったと同じポテンシャルで時代に合った運用が出来るか分かりません。また資産をそのまま子供に相続させると子供のためにも良くないと言われています。
なので築き上げたものはチャリティー基金を設立して、用途を福祉に限定し、複数のtrusteeを介入させる事で、より継続的に資金運用をし、その利益を社会に還元するという仕組みを残します。基金設立にはお金もかかりますが、税制の優遇もあるので政府の決められた方法で登録する予定です。シンガポールは相続税は無いので、相続のために基金設立する必要は無く、私たちの場合は資産の保護と使用の限定の意味合いが強いです。
このように決めてからますます迷いが無くなりました。働いて得たものが蓄財されて、それがさらに大きな利益を生み出し社会に還元される。それが動き出す始めのエンジンの役割をしているのだと自分の人生についても肯定的に捉える事が出来るようになりました。
そして日本人の中にいると特に感じやすい、夫が稼いでいるのに妻も働くのかという守銭奴扱いに気持ちが沈む事もありましたが、基金設立するとなると、稼ぐポテンシャルがある人はどんどん稼いで、自分のために贅沢をするプチ成金ではなく社会を変える小さな一歩を踏み出せる爆成金を目指すべきと思うようにもなりました。
日本では世帯収入がこれくらいあれば一人は働かなくていいじゃないという足の引っ張り合いがすごくあります。その結果単なる贅沢な生活を超える突き抜けた例が生まれにくくなってるんだと思います。なので高収入の人の生活は、食べ歩きと旅行、贅沢品の購入止まりになってしまっていてそれこそもったいないと思います。