30年前から何も変わっていない日本人の英語能力
英語を巡る日本の環境は30年前からほとんど変わってないように思います。
未だに英語と言えば「話せるかどうか」というレベルに留まっている。
本当なら英語で何を話すか、が話題になるべきなのに。
英語を「話す」というだけなら、ど田舎で塾にも行かずに公立学校の教育だけで育った私でも中学生の時から学校に来た交換留学生の通訳くらいは出来た。
会話は学校で習ったと言うより、ハリウッド映画を毎日のように観ていたのと、英語で海外の人と会話をしたいと言う情熱が人一倍強かったからだと思う。
授業の英語は全く興味がなかったけど、英語が話せるようになりたいという情熱で、情報の限られた田舎で育った者にしては比較的スムースに英語が話せるようになった方では無いかと思う。
中学校で英語の授業が始まって以来、英会話の練習は大学に入ってからも留学してからもコンスタントにして来た。
でもお金をかけて勉強するのはイギリスの大学院で修士を取ってから辞めた。もう自分の英語の限界が見えたからだ。
どう頑張ってもネイティヴにはなれない。そしてスペイン、ドイツ、フランス、シエラレオネ、ケニア、エジプト、中国、パキスタンなど英語を第2言語として使う人たちと交流するうちに、イギリス英語や米語を極める事にあまり意味が無い事に気づいた。
どんな発音の英語でも結局は相手に通じて説得力のあるものであれば何でも良いんだという事が分かったから。
それよりもフランス語やヒンズー語訛りの英語が聞き取れて、どの国の人も笑えるジョークを知っている事の方が余程大事だと思えるようになった。
その後ヨーロッパ、アフリカ、アジアの国際機関で働いたけれど、むしろ英語圏から来た人の方が、訛りのある英語を聞き取れなかったり苦労している事も多かった。
面白かったのは米国人がイギリス英語が分からず文句言う事が多かったけど、英語が第2言語の私に取っては米語であろうと英語であろうとバリエーションの一つだとしか思えなかった事。
このようにして私の英語クエストは修士をもって終わったのですが、留学後日本に戻って元同僚と話していて「それで英語は話せるようになったの?」と聞かれた時は心底がっかりしました。留学=英語を勉強ではなくて、英語は話せて当然、勉強をしに行ったとんだと言う事がいまいち理解されていない。
(イギリス留学中の話はこちらhttp://lifeinsingapore.hatenablog.com/entry/2017/11/10/010023)
ご縁があってシンガポールに住んでいる訳ですが、シングリッシュなんて本当に聞き取りやすいしマレー語や中国語のミックスで意味が分からなくても何となく文脈から分かってしまう辺りも好ましい。
何より欧米に住んでいるよりも、日本人の拙い英語を一生懸命聞いて、不完全でも汲み取って理解してくれようとする態度に泣けてくる。
欧米だと英語でうまく表現出来ないと、自分が五歳児になったような屈辱的な気持ちになる事はしょっちゅうですから。
そろそろ英語が話せる話せないじゃなくて何を話すかの話をしましょうよ。
シンガポールに来てから、仕事や子育てでめまぐるしく過ごして来ましたが、最近ちょっと余裕が出来て来たので、中国語の勉強を始めることにしました。今度は初めから8割の完成度を目指して。