生活在新加坡

シンガポール在住。会社員です。日々思った事を綴ります。毎月1日+気が向いたら更新予定です。(最近は1、10、20日に更新しています)

マウンティング

マウンティングについて私が思うこと。

会話の中で(特に女性同士)、褒めているようで実はけなしていたり、直接的に相手よりも自分が上の立場であることを示してきたりする事をマウンティングというそうです。

会話の例を読んでみるとなるほどそういう事か、と思いますが、私の人生の中でこういう目にあった事は多分ありません。あったとしても忘れていて思い出せない。

 

振り返ってみると私は変わった子供だったかもしれないなぁと思います。生まれが田舎だったので、幼稚園から高校までずっと幼馴染と一緒という環境で育ってきました。

 

今でもはっきり覚えていますが、自分と他人が別の人間だと気がついたのは高校2年生の16歳の時でした。それまでは、自分と他人は同じだと信じて全く疑ってなかった。なので悪い事を言われたとしても「変なこと言うなぁ」と本気で聞き流していたし、勉強が出来る方だったので、宿題を見せてという友達には写させていました。宿題とは機械的に問題を解いて記入するだけの事務的な作業だと思っていたので、まさか問題が解けずに白紙で持ってきているとは考えた事も無かったのです。書く時間が無かったのかなぁくらいに思っていたんですね。

 

授業中に先生に当てられて答えられない人を見て、テレビドラマみたいに場を盛り上げるためにやってるんだろうと思って、流石だなぁとは思えどまさか本当に分からずに答えられないとは思っていなかった。

 

高校2年生になっていよいよ進路を決めるという時になって、なんとなくみんななんらかの学校に進学するんだろうと思っていたら、成績が足りないから就職するとかそういう子がちらほらで始めたんです。


その時、勉強が出来ないのはわざとそう振る舞ってるのでは無くて本当だったんだ!と自分の見ていた世界が180度ひっくり返って見えたものです。

 

今まで当然のように、幼稚園小学校中学校高校と上がって来た友達が、それぞれ別の進路を歩もうとしている。


彼らは私とは別の人間なんだ。気づいた時は衝撃でした。

 

その時以来人は自分と違うんだとは頭では分かっているんですが、誰に対しても相手も自分と同じく敵意よりも好意を持っている相手だと思い込んで接する事が習慣になっているんです。ほとんどの場合それで大丈夫ですが、すごーく稀にこの人は悪人なのか?という人がいるのでその時は速攻心の扉を閉じて表面だけ繕うモードになりますけどね。

 

なのでマウンティングにあっていたとしても、気付いてない可能性が高いし、本気で相手の事をすごいなぁと思っている事が多いように思います。それに本気で話し相手に興味と好意を持って接している限り、敢えて嫌われるような行為を取る人はほとんどいません。

 

マウンティングしがいのない相手だと思いますが、言葉の裏をいちいち勘ぐって嫌な思いをするよりは良いんじゃないかと思います。